近頃、従業員も社長も「給料が安いとか不景気だ」なんていろいろぼやきが聞こえるが、基本的に、私自身は定休日なんてものはありません。これは、労働基準法やなんやらの法律では難しいことかもしれませんが、ヒトは、「働かざるもの喰うべからず」とはよく云ったもので、この基本原則を忘れているようである。私もこんな会社をやっていますと、社員を何人か採用してきた。だいたい最後もめるのは、休日の関係だ。ここで、一言申し上げたいことは、難しい法定労働時間とかは承知の上だが、われわれ経営者はほとんど休みがなく、なにかしらの仕事をしている。しかし、従業員は給料が安いと文句は一人前だが、その分働いている自信がどこまであるのか、疑問であります。 私は国の制度もよくないが、もっと肝心なことは、雇用者も従業員との両者が働くという意識もっといえば、モラルの高さが今後重要であると思います。その関係がどちらも、「おかげ様で、、、」という意識が先にないと、いくら正しい法律を上からかぶせてもまったく意味がない。 そこで、現代のこの大不況の時代だからこそ、労使の協調のもと力を結集し、乗り切っていきたいものです。またそのような意識をもつ人材を育てたいものです。やはりそれには、歴史を振り返ることも大事です。休みの概念について江戸時代の発想も参考にするべきであろう。現代との比較も含めて、皆さんに是非考えてもらいたい。 現在の「法定労働時間」は、1週間40時間、1日8時間であり、多くの会社や役所では週休二日制をとっている。休みは人間生活にとって必要不可欠なもので、活力の源でもある。ただ、少し前までは法定労働時間が1週44時間であり、休日の数も時代によって変化してきた。 ところで、農業が主体であった江戸時代はどれぐらいの休みをとっていたのだろうか。今のように法律で定まっていたのでなく、地域によって様々であったようだ。江戸時代では休日という概念自体が存在せず、盆や正月、祭礼の日などだけに仕事を休んでいた。 江戸時代の休日について、歴史学的な研究もあり、農耕儀礼や年中行事との関係である程度明らかにされてはいるが、地域に偏りがある。具体的には、正月や節句のような一般の祝祭日のほか、田植仕舞などの農休み、祭礼等神事に関する日が休日のみで、当時は、晴耕雨読といって、お天とうさまとの相談で休みをとり、大型連休なんてものはなかった。 しかし、正月や盆はしっかり休み、五節句も休みであったことが古い書物からもうかがえる。また節句のうち、人日(じんじつ)(1月7日)、上巳(じょうし)(3月3日)、端午(たんご)(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(ちょうよう)(9月9日)の五節句が重要視されており、氏神様への参詣や節句の祝儀などが欠かさずおこなわれていた。 よって、昔は正月・盆で6日間、五節句で5日間、農事・祭礼行事等の「村中休日」で5〜8日で、およそ16〜19日ほどの休日となる。それに、八朔(はっさく)(八月一日)、彼岸の中日なども休日だった年もあり、いろいろあわせても年間30日前後であろう。 いずれにしても、農事や祭礼など村の慣習や行事に合わせて村が休日を定めており、その習慣は「日待ち」という形で第2次大戦後も残り、最近まで行われていた農村地域もあるといわれています。(県史編さんグループ 藤谷 彰より) また明治時代〜戦前になると、1868年(明治元年)の太政官布告により、31日を除く1と6のつく日を休日としていた。(五十日など) しかし、欧米との交易等で不便があったため、1876年(明治9年)、欧米と同じ仕組みに改めて、土曜日の午後と日曜日の終日を休日とするようになった。 祝日は、当初は節句や盆などであったが、1873年(明治6年)太政官布告第344号「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」によって、それまでの祝日はすべて廃止され祝祭日(祝日大祭日)が定められた。祝祭日のほか、いくつかの記念日(地久節、海軍記念日、陸軍記念日など)が休日とされていた。 第二次世界大戦後になると、1948年(昭和23)年、国民の祝日に関する法律(祝日法)の制定により、それまでの祝祭日を廃止し、新たに国民の祝日が定められた。 振替休日 も 1973年の祝日法改正により、国民の祝日と日曜日が重なった時、その次の日を休日(通称「振替休日」)とするようになった。 そして現在の国民の休日については1985年の祝日法改正により、国民の祝日に挟まれた平日は休日(通称「国民の休日」)とするようになった。 1980年代頃より、土曜日を休日とする週休二日制(週五日制)が広く採用されるようになった。これにより、週末は2連休、振替休日やハッピーマンデー(2000年から開始された、特定の月曜日を祝日とする制度)がある場合は3連休となる。1989年2月4日から銀行など金融機関の土曜日の窓口業務を中止(1983年8月から1989年1月までは第二土曜日のみ窓口業務を中止、他の土曜日は午前中のみ窓口業務を行っていた)、1992年5月1日から国家公務員の完全週休二日制を実施した。2002年度から、公立学校でも土曜日を休日とする完全学校週5日制が実施された。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より) 以上の流れをみて皆さんいかがですか、現代の日曜日とか3連休、ゴールデンウィークなんていう大型連休なんてものは、戦後50年の考えであること、また日曜日なんてものは、明治の欧米政策のなかで、もともとキリスト教の発想のなかでの福音書の通り、安息日(土曜日)の翌日に復活したとされ、後に、これを記念するとして、毎週日曜日に教会で礼拝が行われるようになったといわれる。今の日本の就業スケジュールの考え方、和洋混在であり、権利と義務のバランスが崩れているような気がします。そのことが、現在の経済を象徴し日本式の商売とか雇用形態、もっと云えば、師弟関係、お客さんとの三方善し関係などあらゆる面での制度疲労が来ているのではとそれには、この「休み」という発想をこのような時代だからこそ、今一度われわれは考え直す時期にきているようです。これは、業界問わずいえるのではないか。
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